スピ−カ−・システムにおける仮想点音源と位相制御の追求
ジョン・メイヤ−氏が語る
”メイヤ−・サウンド・フィロソフィ−”
訳 ロナルド・ハドリー
ジョン・メイヤ−氏は、SRスピ−カ−の設計・開発にあたって、スピ−カ−単体としての動特性をシステム全体の駆動性という方向から把えて、諸々のパラメ−タ−を決定しています。
つまり、スピ−カ−を配列した際の 指向特性/位相コントロ−ルまでの段階をメ−カ−が保証するという極めて緻密なアプロ−チを採っているのです。
仮想点音源という言葉は、SRにおいても古くから使われていますが、その技術の大部分はユ−ザ−・サイドにおけるノウハウとして培われてきたというのが現状でした。サンフランシスコに本社を置く「メイヤ−・サウンド・ラボラトリ−」では、メ−カ−とユ−ザ−との間にあるこのギャップを埋めることに力を注ぎ、「MSL−10],[MSL−3],[UPA−1]などのSRスピ−カ−を開発してきたのです。
同社は、これらの製品が持つ能力を示すものとして”アレイヤブル”という言葉を用いています。 ”アレイヤブル”とは、つまり”(スピ−カ−の)配列が可能である”ことを意味し、指定通りの積み方をすれば、スピ−カ−同士の位相干渉や音圧分布における乱れを最小限度に抑え、理想の点音源の構成に近づけられる、ということです。
現場における 実際の使用で、SR会社がその責任を負担しなければならなかったシステム・コントロ−ルという点に注目する同社の方向性は、さらに最近、すでに本紙でも紹介した”SIM”という音場コントロ−ル・システムを開発しています。
(編集部)
「メイヤ−・サウンド」設立の経緯
プロサウンド:「メイヤ−・サウンド」における製品開発の流れについて、説明して戴けますか?
ジョン・メイヤ−(以下J.メイヤ−) '78~'79年に、スイスで、最先端技術のアンプのスタジオ・モニタ−システムを作るプロジェクトに参加しました。
この製品は、300V/ μsec の高速トランジスタ−・アンプを採用したパワ−アンチャンネル・フィルタ−アンプがパッケ−ジになっている、とても素晴らしいシステムでした。 チャンネル・フィルタ−アンプは、より洗練されて、位相補正が出来るとても進歩したものでした。
このシステムをスイスで設計・制作し、アメリカに輸入していたのですが、そのときアメリカ・ドルがスイス・フランに較べて下がってしまい、アメリカにおけるシステムの輸入価格が高くなってしまったのです。
その結果、システムの制作とアフタ−サ−ビスを行なう会社をアメリカで設立しようということになり、これが「メイヤ−・サウンド」創立の本来の目的となったのです。
その製品の最初のクライアントは「グレイトフル・デット」やダイレクト・ディスク・カッティングの人たちでした。
そういえば、1ヵ月ほど前(’87年10月)に「グレイトフル・デット」が「833」スタジオ・モニタ−・システムを購入した際、当時のオリジナル・システムをもどしてくれました。このプロジェクトで、とても思い出のある オリジナル・システムの1台が戻ってきたのは、うれしいことです。
「メイヤ−・サウンド」を設立して間もなく、もうひとつのプロジェクトに関わることが出来ました。フランシス・フォ−ド・コッポラ監督が作っていた『地獄の黙示録』という映画のサウンド・プロジェクトで、サブウ−ファ−を制作したのです。
この映画には、爆弾を落としたりする長い戦闘シ−ンがあり、コッポラ監督が迫力を出したいということで、精巧なサブウ−ファ−が必要になったのです。この場面は、映画のオ−ディオにおける最高傑作のひとつとして高く評価されました。
本物のソビエト製とアメリカ製の機関銃が利用されて、驚くほどリアルな場面となりました。このシ−ンのために、コッポラ監督たちは正確な資料を集めて研究し、2〜3の村を作って、その場面を2回も撮影したといわれています。正確さのために、それだ
けの費用をかけ、本物のベトナム人のヘリコプタ−・パイロットも使って、アメリカの現代史上で重要な戦闘し−ンを忠実に再現したわけです。
コッポラ監督らは効果音にたいへん力をいれていたので、サウンドシステムはとても重要でした。そこで私達はナパ−ム弾の爆発音の入っている戦闘シ−ンのためにサブウ−ファ−を設計し、開発することになったのです。
そのサブウ−ファ−の最初のバ−ジョンはブリッジ接続になっていて、約4、000wのパワ−が入る「650E」と呼ばれるものだったと思います。 その時代のコンサ−トSRシステムのト−タル・パワ−が約2、000Wでしたから、サブウ−ファ−だ
けでその2倍のパワ−を使ったわけです。
とにかく、この『地獄の黙示録』のプロジェクトでは、いろいろなメ−カ−のサブウ−ファ−を使って実験しましたが、そのほとんどの基本動作は、重低音をでたらめに加えるもので、どの入力信号であっても、質の低いディテ−ルのない音を出しました。
ほとんどのサブウ−ファ−は大地震のようなパニック映画などに使われるようなものでした。 つまり、サブウ−ファ−はデタラメの雑音を出すもので、通常はオフにしておいて、必要なときにオンにするという方法です。これはあまり精確な使い方ではありません。
コッポラ監督らが探していたのは、もっと精密なものでした。私達が注目したのは、音色でした。例えば、低音から高音までの信号を入力すると、それらの音色の変化が聴こえるようなものが必要でした。つまり、音域がだんだん上がるに従って、その音の各ピッチが聴きわけられるようなものです。
『地獄の黙示録』の35ミリのマグ・フィルム自体の音は素晴らしく、おかげでハイパワ−時に完全な低音を出すことが可能でした。『地獄の黙示録』のプロジェクトで開発したサブウ−ファ−は、スイスで作り始めたスタジオ・モニタ−と共に「メイヤ−・サウンド」の最初の製品になりました。
「UM−1A]と「UPA」の開発プロセス
又、コッポラ監督のサンフランシスコ本社に関係していて、その近くに住んでいた「グレイトフル・デット」のフィル・レッシュさんとも仕事を始めました。
確実な低域用システムを捜していたフィル・レッシュさんのために、そのシステムを製作したのです。また、同じ時代には、「ジェファーソン・スターシップ」との仕事を通じて、「UM-1A 」ウルトラ・モニターを開発しました。
ポール・カントナーさんは、大きなステージ・モニターに飽きていて、小さなものを望んでいました。そのころのステージ・モニターは、38cm口径のスピーカーが入っているものや、私達が「マッキューン・サウンド」のために作った46cm口径のスピーカー1 本とホーンが2 本入っているシステムのように、大きくなる傾向にありました。( 『マッキューン・サウンド』は、当時、全米最大のSR会社であり、ビートルズ最後のコンサートとなったサンフランシスコのキャンドル・スティック・パークでのライヴ・サウンドを担当した。
メイヤー氏は、'69 年以降、
彼らのために『JM-3』、『JM-5』、『JM-10 』などのSRシステムを設計した。
しかし、カントナーさんが手に入れたかったのは、視覚的にじゃまにならない、高さが30cm以下の、小さくてもパワーのあるモニターでした。当時「ジェファーソン・スターシップ」はステージ・モニターにドラムも返していたので、モニターは小さくてもパワーの出るものが必要でした。
そこで、彼らが明瞭な音を求めているかどうか確かめるために、スタジオ・モニターを試しに使わせたところ、すぐに最大のパワーで使い始めました。これではスタジオ・モニターがもたないので、ステージ専用の質の高いモニターシステムを作ることにしたのです。
私達が作りたかったシステムの特徴は、小さくても持久力があり、パワーもあって、最大のパワーを越えても音が崩れないということでした。値段が高くても、これらの特徴を持っていれば満足できるというクライアント向けです。こうしてできた製品が、「UM-1A 」でした。
話は少し前に戻りますが、私が'75 年にスイスから帰ってきてから、「マッキューン・サウンド」のために「JM-10 」というスタジアム用の大きなサウンド・システムプロトタイプを製作したのですが、その時に、「SM-3」という小さなスピーカーも作りました。それはパワーアンプとフィルターとがパッケージになった、2 ウェイ・システムで演劇用のSRスピーカー・システムとしては人気がありました。
そのような経験から、私達は「UM-1」を改造して、演劇用の小さなSRシステム作ろうという話になったのです。こうして製品化されたものが「UPA 」でした。私達は、パワーは欲しいが、あまり大きくないものが良いというクライアントを対象にしていたのです。
その頃は、大きければ良いはずだと思っている人たちがかなりいました。値段と大きさは比例すると思われていたので、小さい製品を大きい製品と同じような高い値段で販売するというのは、わりと新しいコンセプトでした。
演劇のマーケットにいる人たちはこのようなコンセプトを気に入ってくれたので、この新しい製品は興味を持たれ、演劇の分野で大成功になりました。そして、軽いものを利用すれば、経済的なこと以外でも利益があると考えている他のマーケットの人たちの間にも広がっていきました。
「UPA 」を発表して、1 年後からは現在に至るまで技術的な仕様は全く変わっません。変更していないのは'81 年からです。「UPA-1 」のクロスオーバー・ポトは1.6KHzで、このシステムにとっては理想的な値になっています。
当時は、多くの人が、クロスオーバー・ポイントの変更ができるように望んでい
ました。しかし、「UPA 」はとても小さくて、最適な状態にチューニングされているシステムなので、そのような個人の注文に応じるのはなかなか困難なのです。
でも、「UPA 」から「UPA-1A」名改良したときは、より多くの状況に対応できるよするために、クロスオーバー・ポイントを前よりも400Hz ほど高くしました。しかしこのように最適の状態で作られているシステムの場合、ユーザーがかってにデザイン・パラメーターを変更したりすると、他の新しい問題を作り出すことになります。
カメラに例えるなら、マルチ・レンズ・システムのようなもので、1 枚のレンズを最適な状態にすると別の1 枚の方で問題が出てきて、その補正をしなければならなくなります。
ホーンやウーファーの大きさや、クロスオーバー・ポイントの選択に関しては、私達で注意深く研究して決定し、それから、フィルターアンプの位相補正を行ないました。
この時私達のフィロソフィ−はスタッキングしたときの均一な指向特性( アレイヤティー) で、「UPA 」の場合は、隣接した複数のスピカ−が駆動するとき、ソースによるフラットな音場を作り出せる能力を持っています。
アレイヤビリティーに関しては、「MSL-3 」、「MSL-10」の場合も同じです。
「MSL-10」と「MSL-3 」の開発コンセプト
プロサウンド: それが、'81 年までのプロフィールですね。
J.メイヤー: そうです。それと同じ時代にオークランド・コロシアムとの契約が取れました。「MSL-10」をこのスタジアムに設置したのです。
以前、「マッキューン・サウンド」では、オークランド・コロシアムに「JM-10 」をリースしたことがありました。
そのとき、私たちが推進していたコンセプトの一つは、あるシステムの性能を判断する場合、そのシステムを会場に仮設して、実際のオペレーションに使用してみるということでした。
仕様書によって導入したシステムがきちんと動かない例が多すぎたので、評判がよくても仕様書だけでシステムを導入することが徐々に難しくなっていたのです。
ですから、実際のデモンストレーションで、製品の能力を見せる必要があったのです。
オークランド・コロシアムの「JM-10 」の場合は、クレーン車で、スピーカー・システムをフライングしました。そして、それをフットボールと野球の試合で使いましたが、このシステムは球団、経営者、野球ファンから高く評価されました。
そして、この時の試みが、「MSL-10」というプロジェクトに発展したのです。
このプロジェクトでは、より正確なポイント・ソースを作るための新しい実験を行ないました。「MSL-10」のポイント・ソースは、直径にして30cm以下、恐らく15cmのところから出てきます。これは「JM-10 」の時よりもうまくいきました。この時以来私たちの考え方は、" スピーカーをスタッキングした際の同軸性が明瞭度を増すうえで役に立つ" という方向へ進んでいきました。
現在の「MSL-10」は、さらに改良されて、ようやく最終的な形になりつつあります。このように、私たちの製品開発は、とても長い時間がかかります。それはサウンド・システムのレンタル会社や、それを使うクライアントに実験台となる費用を負担させることができないからです。
例えば、「MSL-3 」は、「MSL-10」を縮小して、再び組み立てたものとして完成したものなのです。
この方法は、実験的に小さなシステムを制作してみて、50台の製品を売った後、うまく稼働することを願っているようなアプローチとは違います。私たちはその逆で、製品が実用的な環境のなかで正しく稼働することを確かめてから売ります。これは、経済面で、クライアントに大きな影響を与えます。
つまり、レンタル会社が投資したサウンドシステムの元を取り返すのに2〜3年かかるとしても、システムが確実に動けば、投資に見合ったすばらしいコンサートができますし、そうでなければレンタル会社は信用を失い、財政的に大きな損害を受ける場合もあるのです。その点で、サウンド・ビジネスはハリウッド映画のそれに似ています。つまり、評判が悪くなれば、立ち直ることがほとんど不可能で、会社が倒産してしまうことだってあるのです。私たちは、つねにこのようなことを念頭に置いて、製品を開発しています。
例えば「AES 」での発表前に「MSL-3 」がフランク・ザッパのツアーで使用さとき、トラブルに際してはパーツを空輸する保証条件を付け、そのために全ての補助パーツを用意して待機していたのです。
J.メイヤー: 「UPA 」、「MSL-10」、「MSL-3 」などに共通する大きな秘密はスタッキングしたときの指向特性を重視していることです。これは”アレイヤビリティー(Arrayability)”と言うことで、この言葉は本当に良く使われますが、
その意味はあまり理解されていません。
つまり、サウンドは白光のように交じり合うのではなく、水のように交じるため、いろいろな干渉作用が生じます。「UPA 」でさえそうですが、2 つのスピーカー交差させるとお互いに干渉しあって音圧レベルが乱れます。そのような現象に関する別の要素があることを知らずに、テーパーの付いた( 台形の) エンクロージャーを作りたいのです。
私たちのスピーカーは、スタッキングされて初めて高いパワーレスポンスを得ることが出来ます。これは「JM−3」の時に経験した問題のひとつでした。 「JM−3」は1〜2台で使うように設計されていたのですが、次第に大きなコンサートで何台もスタッキングして使うようになりました。しかし、いくら台数を増やしても、必要なパワーを得ることができなかったのです。
これは、スイスで始まって、’79年までつづいた研究の1つの目標でした。おかげで、会社が成長するにつれて、取り扱うコンサートの規模が大きくなっても、それにふさわしいパワ−の出せるシステムの開発に成功したのです。
私達は実践経験が豊富なので、サウンドシステムが正しく駆動していないと、その様子や原因を察知することができます。多くのメーカーはエンド・ユーザーから遠く離れていて、プロオ−ディオのマ−ケットとコンシュマ−のそれと区別がつかないのです。
家庭で使っていて問題があれば、販売店に返せます。でも、プロ用の場合は、コンサ−トで問題になれば大変です。ですから私達は材質より、システムとしての駆動性を大切にします。 そのため、ハニカム素材とかベリリウム素材とかいうような キャッチフレーズを使って売り込むことはやらないことにしました。
この考え方で、この2 年間('87年12月現在) に開発したものが「Source Independent Measurement) と言う技術です(SIMの詳細に関しては、またの機会に説明いたします。) 。これは音楽ソースを使っ定する技術です。ミュージッシャンが演奏する実際の音楽をテスト信号として使い、コンサート・ホールの特性を調べて、サービスエリアに対する音場を均一化できる能力があります。これは、歪みの検知、エネルギーの比較、フィードバックの測定を行なえるところまで進歩しています。
このようないろいろな要素は、音楽事態によって測定されるので、私たちのコンセプトでもある、”ユーザー・サイドに立った考え方”なのです。 商売のために毎年新しいスピ−カ−を発売するよりも、システムをコントロ−ルするコンピュ−タ−を開発しようというのが私達の考え方です。
もちろん、新しい材質その物に関しては、いつも興味を持っていますが、それを商売の”ネタ”にしようとは思いません。新しい材質を無視するわけではなく、材質は一番重要な要素ではないということです。
新しい材質の場合、問題になることに、どのくらいの寿命があるのかが分かりにくいことです。よさそうな材質でも、その寿命が分からないので、実際にその材料でシステムを組み立てて、検査しなくてはいけません。ある材質が3 年持つ、ということを知るたにはそれを3 年使ってみなければいけません。
推測と知識とは違います。ですから私たちはゆっくり時間をかけて材質を検査します。すると期待に沿わないものや、高い値段に見合うようパフォーマンスが得られない物もあります。ハニカム材料はそのよい例で、高い値段のわりには、メリットが少ないので、小さな製品にはよいかも知れませんが、大きなシステムには向きません。
逆に「SIM 」の場合は、同じくらいお金をかけても、良い音がきちんと作れる保証があるので、メリットがとてもあります。ですから私たちは、ハニカム素材も役に立つが、「SIM 」の方がもっと良い結果が得られるのではないか、と考えたのです。
このような細かい取り扱い選択が、私たちの会社の根本的な哲学になっているのです。
次回に続く!!
**文章が、意味不明な部分が有りましたら申し訳有りません**
上記の資料が、古い為、現在では、常識の部分がありますが、再認識をして頂ければ幸いです。
また、上記の資料は、プロサウンドの記事を抜粋させていただきました。
貴重な文献に対して感謝いたします。有り難うございます。
**質問、感想等が有りましたら、ast@ast-osk.comまでお願いいたします。**
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